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ソフトウエア企業の競争戦略

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食うか食われるか ネットスケープvs.マイクロソフト

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ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則

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忘年会

 ちゃんこを食べて、カラオケを歌って、キャバクラで飲んで、ホルモン焼きを食った。体に悪いが、楽しめた。今年1年、色々あった。集まったメンバーは、今の会社に何らかの形で協力をしてくれているメンバー、社員はもちろん転職してうちに参加してくれたわけだが、その他のメンバーも昔の会社を今年辞めている。皆にとって、非常に変化の多い一年だったわけだが、うちの会社に関わってくれた人たちの今後の幸せな発展を願ってやまない。

コンペ、敗北

 こちらは、非常に残念なニュース。僕の会社が担当したパートは高い評価を得られたそうだが、それ以外のパートでの評価が今一歩であったようである。自分たちが原因でないことに安心した反面、チームで仕事をすることも難しさ、特にプロジェクトの舵取りで出来ない立場での仕事の難しさを改めて痛感した。
 今回、僕らは代理店が集めたチームの一員として、働いたわけだが、クライアントの要望を反映してどのスタッフにどういう仕事をどの程度させるか、という部分はハンドリングが出来なかったわけだ。結局、このコンペの敗因は、このリードの失敗にあったといえるだろう。大きな仕事だけに、うちみたいなかけだしの会社に声がかかるわけもなく、共同でなくては取り組めない仕事だから、他に選択肢はなかったのだが、逆に社長が2週間かかりっきりになって徒労に終わるのも厳しいものだ。
 今後、こういう話があった際に、再びきっちりチャレンジできるように、基礎になる売上の基盤は社長抜きで立てられる態勢を早期に立ち上げる必要がある。それを改めて認識しただけ、収穫か。
 神様が、まだ早いとおっしゃっていると思おう。

有言実行

友人が更なる一歩を踏み出した。
2年前に楽天の副社長を退いてから、地道で真剣な取り組みの成果だと思う。
新設校とはいえ、公立校だし、自分が作ったのではなく「選ばれた」のだから、それなりに苦労もあることだろうが、公立校が変わることは意味があるので、是非ともがんばって欲しい。

32歳・楽天元副社長が横浜市立中校長に、全国最年少

 横浜市教育委員会は27日、公募していた来年4月に開校する市立東山田中学校(同市都筑区)の校長を、楽天元副社長で非常勤取締役の本城慎之介さん(32)に内定したと発表した。

 同市教委によると、本城さんは公立校の中では全国最年少の校長になる。

 市教委は、新設される同校を、地域の人が学校運営に携われるようにするなど、改革のモデル校とし、初めて民間人校長を公募した。応募した68人の中から論文や面接試験を経て、本城さんの採用を決めた。

 本城さんは、北海道生まれ、慶応大学大学院在学中の1997年、楽天の前身の「エム・ディー・エム」を三木谷浩史社長とともに設立。99年に楽天の副社長に就任した。2002年に教育関連事業に取り組むため、「音別」を設立、教育関係者や民間企業向けの講演・研修活動を続けてきた。

 本城さんは「多くの子どもたちが通う公立校を魅力あるものにすることが大事と思って応募した。トップダウンでなく、現場の教員や保護者、生徒たちの声を拾い、全国の学校がまねをしたくなるような施策を実施したい」と話している。
(読売新聞) - 12月27日21時7分更新

PS しかしこの記事、翌日の日経では35面の地方欄扱いになっていたが、Yahoo!では当日にトップに表示されていた。なんというか、友人としてYahoo!で扱いが大きかったことはうれしいが、ニュースバリューの評価の客観性については、色々と考えることがあるな、と感じた。 

もちつき

 友人宅でもちつきがあった。なかなか面白いものだった。もちを作るという行為は、思ったよりシンプルで、思ったとおり大掛かりなものだった。
 設備をセッティングして、大量のもち米を蒸して、蒸しあがって以降は、手早くこねてつかなければいけない。とても一人や二人で出来る作業ではない。ついた餅を丸める役まで考えれば、最低でも4〜5人の大人が必要だ。
 昔の田舎ではどの家でも年末に行われていたであろう餅つきが、段々と廃れていったのも分かるような気がする。要は、あれだけの人間を容易には集められなくなったのだ。スペースの問題もあるが、そもそも人を集められないのだ。今回のイベントのような形で、集めることはできるだろうが、本当に餅が欲しかったら、今回あつまった人間の家庭分の餅をつくことは大変な労働だったろう。その対価として得られるものが、「餅」なのであれば、いまどきの人々がわざわざ集まって労力を割くよりも、サトウの鏡餅や切り餅を買えばいいだけのこと。経済合理性を考えれば、餅をつく必然性などなにもないのだ。
 そうやって経済合理性で物事を割り切るから、大事なものが失われていくのだな、と改めて感じた。きっと、今日のもちつきを参加した子供たちの何人かは非常に楽しい思い出として記憶にとどめてくれることだろう。お父さんのかっこいいところを見れたことだろう。
 価値観が多様化する中も、複数人が集まらないと出来ないような、こういう「いい無駄」をどれだけ生み出していけるかが、コミュニティや個人にとって非常に大事だなと感じた。「もちつき」だったから集まったのであって、「もち作り」だったらここまで人が集まらなかったのじゃないか。
 これからも経済合理性のもと、非常に多くの「作業」は消えていくだろう。ただ、その作業を人をエンターテインするイベントにすることができれば、それは「楽しみ」や「趣味」といった形で残っていくことだろう。少しでも多くのそういう作業のもとの「技術」が、人々の多様性のもとに様々な形で残っていってくれること。そしてそういうものに、必要な時にネット経由なりでアクセスできる状態が築かれることを願ってやまない。

あいさつ

 マンションで、後からエレベータに乗ってきた女性(小柄・ショート)が「こんばんは」、そして先に彼女が降りるときに「おやすみなさい」といってくれた。もちろん、僕も言ったのだけれど、たったそれだけで幸せになれた。挨拶って不思議だと思う。
 昔、挨拶が好きで近所を歩くとき、すれちがる人みんなに挨拶をしていた。知っている人はもちろん、まったく知らない人にも。そして、いつだったかに、友人に「今の知っている人?」と聞かれ、違うと応えたら「なんで挨拶するの?」といわれたことを思い出した。今では、昔ほど気軽に挨拶が出来ない。
 挨拶って、「おはよう」と口にすることは簡単だけれども、気持ちがオープンじゃないとできない。特に大人になると、相手と間合いを探りあうようなことがある。でもきっと、自分が正しく自分の上に乗っかってオープンになっていたらいえるんだろうな、「こんにちは」って。
 そんなことを2階から5階にあがる数十秒に間に考えた。



 

全力を出し尽くすということ

 ようやく、某代理店からの依頼で作成していたコンペ用の資料作成が完了しました。ホント、今回は疲れた。大体2週間かかったわけだけれど、特に後半は、夕方ミーティング(これがまた4時間とか5時間とかかかる)で言われたことを反映し、かつベースの提案力を向上させて翌日夕方のミーティングに臨むという繰り返し。そもそも、代理店の下請け(?)的な立場で仕事をするのが初めてで、勘所が最初わからなかったこともあるのだが、非常に疲弊した。
 受けてしまった以上、社長の僕が関係を壊すようなこともできないし、ギリギリまでやりました。最後の1日は24時間ぶっ続けでパワーポイントをいじっていました。この仕事に関するこの数週間で思いつける内容は出し切った感があるので、これで案件ロストしても後悔はありません。残念だけれど。
 しかし、ここまで絞り出すように仕事をしたのは久しぶり。そういう意味で、これまでが甘かったのかな?と思う気持ちと、こんな仕事の仕方をしてはいけない(身体がもたない)という気持ちがせめぎあいます。ただ、まだ若いうちにこういう訓練をしておくことは大事かな、という直観があるので、もし仕事が取れたらもう少しだけやりましょう。ただ、確実にいえることは、これは社長の仕事ではない、ということ。指揮官がプレイヤーをやると視野が狭くなるからね。このあたりは弱小ベンチャーの難しさでしょう。
 せっかくの友人のお誘いも、4時から9時すぎまでかかったミーティングで行けなかったけれど、まぁ、出し切った満足感があるからいいかな。また、呼んでください>H。
 でも、なんていうか、身体と脳と精神が(ストレスなどではなく)健全に疲れている状態というのは、割と気持ちがよい状態です。昔の人は、どういう時にこういう疲れを感じていたのだろう?