二兎を追うものだけが二兎を得る

「二兎を追うものを一兎をも得ず」
同時に二つのことをしようとする者はどちらの成功も得られない。(三省堂大辞林 第二版」より)

という諺は昔からよく言われる。しかも、この手の諺は先人の教訓として割として無条件に受け入れていることが多く、つまりそれがゲームのルール(人生成功の法則)であるかのように扱われている。
 つまり、既に正しいルールが分かっているのだからそれに従わないと失敗するよ。そのルールに従わなかったから失敗したんだよ。と
 でも、本当にそれが失敗の理由だったのだろうか?「あぁ、それで失敗したんだ。これからは一つのことを集中してやろう」とした瞬間に、他の失敗の原因を考えることをやめてしまっていないだろうか?
 物事を「直観」する能力はそうやってそがれていってしまっているのではないだろうか?
 反例をしめそう。諺ではないけれども「金が金を産む」という言葉もまことしやかに言われている。自分で体験的に感じたことは無いけれど、この資本主義社会においてこれは一つの「事実」であるように思われる(少なくとも、「金で金を産んでいる人」は観測されている)。で、そのような成功例となっている人は、必ずしも一つのことだけに金を突っ込んでいるわけではない。シナジーだ、ポートフォリオだといって、いろんな事にお金を突っ込んでいる。少なくともお金を沢山持っている人にとっては、「二兎を追うものを一兎をも得ず」という考えは当てはまっているようには思えない。つまり、この二つのルール(?)は矛盾している。少なくとも「二兎を追って二兎を得ている」人はいる。(きっと「金が金を産んでいない」人もいるけれど・・・)
 要は、いつの時代を前提にした言葉か、ということにもなるんだろう。「二兎を・・・」は、資本主義が発達したこの時代に、少なくとも普遍的に適合する言葉には思えない。昔、人は自分で体を動かして獲得する、ということがほとんどだったと思う。何かに投資できるリソースというものは、自分の身体のみだったのだ。きっと、今の時代に照らして考えれば、おそらくは一兎毎に十分なリソースを割けばいいのだ。全リソースを一兎に注ぐことを示唆しているのではないのだ。更に言えば、情報が豊富な社会では、同一線上にいる二兎を追うという手もある。つまりこれからは、一兎を追う戦略で二兎を追うと失敗するよ、という意味になるのかもしれない。
 考えが拡散しそうなので、一回まとめる(う〜ん、最近長い文章がかけなくなってきた。一つの文章がせいぜい数百文字のA4サイズに入れて読みやすい、というパワポばかりを作っている弊害だな、完全に・・・。BLOGをリハビリの道具にしよう)。結論は、諺を、或いは人のアドバイスを無条件に受け入れるのはダメだということ。それは「(自分の直観と矛盾していても蓋をして)思考をとめてしまう」し、「(時代背景や対象や、実行者の能力の差などで)普遍的に当てはまるものではない」可能性が高いから。知恵は継ぐけれど、その全てが必ずしも今の時代そしてこれからの時代にとって真とは限らないから。そして何より、この「二兎を・・・」という諺に関して言えば、世の中、「二兎を追うものだけが二兎を得ている」という、より強い直観がボクの中にあるから・・・

PS ネットで調べていたら、タイには「チャップ、プラー、ソン、ムー(魚を掴むのは、両手で)」という諺があるそうです。「二兎を・・・」と一緒のようにも受け取れますが、手を抜くなとか、投入可能な充分なリソースを投じろという意味にも取れるな、と思った。