カルマ返し

 彼女とカルマ返しの話になった。ボクの彼女に対する仕打ちが彼女のこれまでの人生に対する「カルマ返し」なのだという。
 ここでは、自分が他人にしてきた仕打ちを自分が受けることを指して「カルマ返し」という。改めて調べてみると、そもそもカルマ(KARMA、業)とは、大辞林によると

身体・言語・心による人間の働き・行為。行為は必ずその結果をもたらし、また現在の事態は必ずそれを生む行為を過去に持っているとする思想は、インド思想に広く見られる。カルマ。羯磨(かつま)。

ということ。つまり、カルマの法則とは、「過去(世)においてなした行為は、良い行為にせよ、悪い行為にせよ、いずれ必ず自分に返ってくる」という因果応報の法則で、ボクたちもそんなサイクルに入ってしまっているという話。本来はこの法則は、輪廻転生を前提にしたもっと大きなサイクルの法則で、今生の中でのことを説いているわけじゃないのかもしれないけれど、直観としてそれは一つの人生の中でもあるのではないだろうか・・・
 そう思うとき、ボクは自分の行いを振り返る。誰かの「カルマ返しに当たるような行為を担当している僕は、誰かからカルマを返される立場になるのだろうか?だとしたら、どうやってその繰り返しの輪をボクでとめられるのだろうか?また、ボクがとめたら、彼女へのカルマ返しはなくなるのだろうか?それとも、また別の人が彼女にカルマを返す役目を負うのだろうか?はたまた、そんな選択余地もなく、ボクがカルマを彼女に返すからこそ僕が彼女の相手として選ばれた(誰に!?)のだろうか?
 人生を振り返って誰も傷つけたことがない人間なんているのだろうか?大きく傷つけたものが大きく傷つけられるとしたら、ボクたちにできる事は大きく育てることなんだろう。もし最初に傷つけてしまったら、そのカルマ返しを受けてなお、仕返しをせずに育てようとすることなんだろう。それは、凄く簡単なことなのに、人間の性分としては難しいことなのかもしれない。